プロフィール
調和とコミュニケーションをモットーに、
デジタル時代のなかでアナログ世界を創造する
【経歴】
1968年宇都宮市に生まれる。実家は曾祖父の代から父親の代まで、米・燃料を扱う商店を経営。宝木小、陽西中、宇都宮北高、山形大学農学部、静岡県森林組合連合会、会社勤務を経て独立。2005年に発送代行業・有限会社ユーアンドエスを設立し、ライフワークとしてライター業もこなす。 |
■執筆代行して書籍発行
■地域経済を支える様々な経営者を取材、その人となりや経営理念等を執筆
■作文・小論文指導(作文指導した小学生数名が全国コンクールにて大賞受賞)
・昭文社「栃木のトリセツ」
・いちご出版「栃木の一流」「栃木の男性経営者 100人」
・各種情報誌 ほか多数
※クライアント様のご都合により、実績の一部のみ公開しております。
2021年3月に昭文社より刊行された『栃木のトリセツ』の執筆に参加。書き終えて、あらためて故郷・栃木県の奥深さと豊かさを実感しました。オールカラーで写真や図解も多く大変読みやすい本なので、ぜひ多くの県民の方に手に取っていただきたいです。
【対応エリア】
栃木県全域、隣県など
高校時代、女子バスケ部を設立
宇都宮北高の第5期生ですが入学時、新設校だった北高に女子バスケットボール部はありませんでした。そこで保健体育の先生だった担任と協力し女子バスケ部を設立、初代キャプテンを務めました。
現在校庭の北側を走っている宇都宮環状線はまだ通っておらず、競輪場通りから北側は一面見渡す限りの田んぼで、冬は容赦なく吹きつける冷たい北風を一身に受けながら、3年間懸命に自転車をこぎ田原街道を行き来しました。
中学から高校時代はバスケットボール中心の生活でした。
高校2年の修学旅行、秋の京都にて。懐かしい初代北高の制服でポーズ。当時の公立校の制服としては画期的なデザインでした。17歳の未来はまだまだ霧の中だった頃。
森林破壊を憂慮し、農学部林学科に進学
登山が趣味だった父親といっしょに尾瀬や那須、日光の山を登るなど、小さい頃から山や自然が大好きでした。高校3年時、倉本聰の「ニングル」を読み(ニングルは北海道のアイヌに伝わる森の妖精とされています)激しく心を動かされ、森や自然を守りたいと山形大学農学部林学科に進みました。サークルはワンダーフォーゲル部に入部し、北アルプス、南アルプス、北海道大雪山、朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰などを仲間たちと縦走しました。
東北の自然だけでなく歴史や文化にも深く心惹かれ、柳田國男の「遠野物語・山の人生」の世界観に魅了されました。今は現代語訳になって出版されている遠野物語ですが、個人的には原文の文語体の文章で読まないとあの世界観は伝わらない気がします。
1989年大学2年の夏合宿、北アルプスの雪渓上にて。女子だけのパーティーで10日間ほどかけて縦走しました。テントと食料の入った40㎏を超えるザックを背負い稜線まで登るのが一苦労です。
1988年大学1年の新雪合宿、新雪に覆われた吾妻連峰の山中にて。初めての雪山でかんじきを履いて登りました。
大学卒業後、木材市場へ就職
大学の同級生の多くは卒業すると地元に戻り市役所や県庁で公務員として働くことを選択しましたが、自分はその道を選ばず静岡県森林組合連合会に「現場希望」として就職しました。ここで女性第一号の現場作業員として木材市場へ配属となり、山から伐り出されてきた丸太を、フォークリフトや「とび」という道具を使い太さや長さ別に並べ替える作業に従事しました。
男性ばかりの現場に女子が入ることは男女共同参画社会の現在では普通になりましたが、平成の初め頃はまだ珍しく、現場の男性陣も私とどう接してよいのやら困惑気味でした。自分自身もまだ20代の女性だったこともあり、この環境下でこの先ずっと仕事を続けることに限界を感じ、2年間勤めた後、故郷の宇都宮へと戻りました。それでも山仕事を生業とする男たちは、本当に気持ちの良い人ばかりでした。慣れない環境で大変な事もありましたが、静岡時代は今となっては楽しい思い出です。
木材を運んでくる大型トレーラーの運転手さんから「若いお兄ちゃんが入社したんだね」と言われました。木っ端まみれになって毎日丸太と格闘していた素朴すぎる時代の貴重なワンショット
夢破れて宇都宮に戻ってからは、「やりたい仕事よりも、自分にできることをがんばろう」と頭を切り替え、求人誌に「未経験者大歓迎」と書かれていた広告代理店の営業職に就きました。電話で新聞の広告を取る仕事でした。電話のみで趣旨を説明し契約を取るには、相手と受話器越しにどれだけコミュニケーションを取れるかが鍵です。入社後ほどなくして、社内で営業成績がトップになりました。経験して初めて気付く能力があるのだと、その時思いました。
意外な能力といえばライターの仕事もそうです。これは大学の時、尊敬する教授から「恩田さんの書くレポートは素晴らしい」と言われたことがきっかけです。そこで「そうか、文章を介して社会とつながることが出来たらいいな」という考えが、フッと芽生えました。そうなると、人間は無意識にその方向に舵を切るのかもしれません。その考えが浮かんでから十年後に、偶然にも大手出版社の編集者と名刺交換をする機会を得、そこからライターとしての道が開けました。
起業したのは2005年、37歳になる春です。勤務先の社長さんから「やる気があるなら、業務を引き継いでほしい」と言われました。その会社は小・中学生向けに独自の通信教材を制作しており、教材の企画から印刷、会員さんへの発送まで行っていました。紙の扱いに慣れた主婦のパートさんがたくさんいたため、本業の合間に会社の副業として、折ったり貼ったり封入したりといった内職作業も受注していました。これも何かの縁だろうと即決し、「発送代行・内職作業請負」の事業とパートの主婦の皆さんを引き継ぎ「有限会社ユーアンドエス」を設立しました。2025年、山あり谷ありでしたが皆様に支えられ、おかげ様で弊社は創立20周年を迎えることができました。感謝感謝です。
地域に暮らす60代~80代の主婦たちが集まり、和やかな雰囲気で和気あいあい作業をしています。女性たちの幅広い経験と共感力と笑い声が世界平和を実現します。これからもユーアンドエスはその空間を提供していきます。
10年近く自宅に引きこもっていたというNさん。知人の紹介でユーアンドエスで働くようになって以来、本来の快活さを取り戻し責任感を持って生き生き仕事をしています。倉庫へ荷物仕分けの出張作業中に笑顔でツーショット