コラム
高市早苗内閣総理大臣と共に
真面目に感動しました。昭和生まれの世代としては、この日本で女性の総理大臣がアメリカよりも早く誕生した事実に「本当に時代が変わったんだ」と、心底思わざるを得ません。
白状すれば、私自身もかつては「女性に政治は無理だ」と考えていた一人です。女性はどうしても視野が狭くなり、大局的なモノの見方が出来ないと考えていましたから。目の前の案件に右往左往し、俯瞰的な眼差しで国家の行く末を論じることなど不可能だと思っていました。でも、昭和から平成、令和へと時代が移るなか、日本の女性も変わってきました。
政治の世界では1980年代後半、「マドンナ旋風」なるものが吹き荒れ、故・土井たか子委員長率いる日本社会党(現社民党)が大幅に議席を伸ばし、与党である自民党に迫る大躍進を遂げたことを覚えている人は多いと思います。その時、日本社会党から立候補した多くの女性議員が当選しました。なぜあの時社会党が支持を伸ばしたのかは政治評論家の先生に解説いただくとして、社会党の躍進を受け当時の土井委員長が口にした「山が動いた」という言葉が、自分には強く印象に残っています。それは明治の歌人・与謝野晶子の言葉であることを後から知りました。
明治時代、欧米由来の自由な思想に触れ、それまで男性の陰に隠れ夫唱婦随を美徳としていた日本女性の意識にも変化が生じました。我が国にも女性の解放や権利取得を訴える今でいうフェミニストが現れ、その先駆者的人物が社会や歴史の授業でも習う「平塚らいてう」です。らいてうは女性の自立を謳う「青鞜」という雑誌を創刊し、そこに「原始女性は太陽であった」という有名な言葉を残しました。この創刊号に与謝野晶子が「そぞろごと」と題した9ページにわたる詩を寄せ、その冒頭部分に「山が動く‥」の言葉があります。
山の動く日来る
かく云へども人われを信ぜじ
山はしばらく眠りしのみ
その昔において
山は皆火に燃えて動きしものを
されど、そは信ぜずともよし
人よ、ああ、ただこれを信ぜよ
すべて眠りし女(おなご)
今ぞ目覚めて動くなる
何だかんだ言っても、女性は優しいんです。そして、コミュケーションが得意です。戦争なんて大嫌いです。世界の国々のトップが女性ならば、もっと話し合いで解決することが多くなるのではないでしょうか。でも、大切なものが傷つけられるとなるや、物凄い強さと行動力を発揮するのも女性です。まさに「山は皆火に燃えて動きしものを・・」です。山の神様は女性ですから。
ただ彼女たち全員が時代の先端をスマートに駆け抜けたわけではありません。晶子は歌人で夫の与謝野鉄幹との間に12人の子供を産み、子育てをしながらギリギリの生活のなか稼ぎの無い夫と家庭を自身の文筆活動で支え続けたといいます。らいてうの跡を継いで青鞜の編集に携わり、活発な言論活動を繰り広げていた伊藤野枝は母親に「私は畳の上では死ねんとよ」と言い、その通り関東大震災の混乱時、事実上のパートナーであったアナーキスト・大杉栄と共に憲兵隊に捕えられ、殴殺され古井戸に投げ捨てられるという悲劇に見舞われました。青鞜創刊号の表紙を描いた長沼智恵子(智恵子抄の作者で彫刻家・高村光太郎の妻)は、時代に変遷と共に没落した実家を憂い、統合失調症になってしまいます。そういった先人たちの歴史の上に今があります。
晶子の「そぞろごと」は次の言葉へと続いています。
一人称にてのみ物書かばや
われは女ぞ
一人称にてのみ物書かばや
われは われは
これは「自分の責任で、自らの言葉で表現する。それが女である」という意味だとか。
女性初の総理大臣に期待するなどと全て責任を押し付けているうちは、状況は何も変わりません。先輩たちの魂が叫んでいるように、世界を創るのは自分自身なのです。高市早苗総理に期待するとともに、私たちも自らの足で進んでまいりましょうや。
