有限会社ユーアンドエス 代表取締役/ライター 恩田すみえのホームページ

コラム

2026
01 / 18
08:00

たとえ明日世界が滅ぼうとも…

 

たとえ明日世界が滅ぼうとも、今日僕はリンゴの木を植える」

これは社会の世界史の授業で必ず学ぶ人物、16世紀に宗教改革を推進したドイツの神学者、マルティン・ルターの言葉だそうです。

 

先日、宇都宮市のコミュニティFM・ミヤラジの「乱世を生き抜く宮商人(ミヤアキビト)のチカラ」に出演させていただき、事前に送られてきた「31の質問状」の中に「座右の銘 または 大切にしているワンフレーズは?」という質問がありました。それに対し、3つ記入し、そのうち1つがマルティン・ルターの言葉でした。

 

さて、自分がこのフレーズを大切にしている理由ですが、何のことはない、これはマルティン・ルターでなく恩田澄江の言葉だからです。

 

あれは、いつぞやの何かの選挙前のこと。某地方議員を激励するパーティー会場に、某国会議員の先生が応援に駆け付けました。そこで国会議員の先生が応援演説の冒頭で「私は彼の日々の活動を見ていると、-たとえ明日世界が滅ぼうとも、今日僕はリンゴの木を植える-という言葉が浮かびます!」と、かましたのです。それを聞いて、自分は思わず「へっ?」と思いました。「それは、私のセリフだよ!」とね。

 

話はさらにだいぶさかのぼり、まだ20歳の恋多き乙女だった頃、カワシマ君という彼氏がおりました。サークルの1つ学年が上の先輩で、高校までまったく浮いた話の無かった自分にとって、初めて「彼氏」と呼べる存在でした。もう嬉しくて大好きで、当時はカワシマ君のために夕飯のメニューを考え、買い物をして、毎日キッチン(とはほど遠い、築25年の木造アパートの台所)に立っていそいそと手料理を作る、それがすべてのような日常だった気がします。

 

卒業後、だいぶ時が経ってから学生時代の友人の家に久々に遊びに行った際、思い出話に花が咲くなかで、友人の口からこんな話が出ました。

「オンダがカワシマ君のためにがんばって手料理を作っていた頃、・・たとえ明日世界が滅ぼうとも、私はカワシマ君のために料理を作る!・・なーんて言ってた。覚えてる?」と、カラカラ笑うのです。

「そんなコト、言ったのかな?」と、自分はまったく覚えがありません。

 

その場はそれで終わりましたが、それから数年後に例の国会議員の応援演説で、単語は違えども同じフレーズを聞くことになり「いったいこれは誰の言葉なんだ?」と調べたところ、マルティン・ルターの言葉でした。

 

マルティン・ルター、500年前に生きた人です。一般的に知られていることは16世紀、カトリック教会が免罪符なるものを発行し「お金を払ってこれを購入すれば犯した罪は許される」と、一般庶民たちに売り出しました。ルターはこういったカトリック教会の行為を「腐敗だ」と強く非難し、ここからヨーロッパ全土に広がる宗教改革の火ぶたが切られます。

 

「たとえ明日世界が滅ぼうとも、今日僕はリンゴの木を植える」ルターはどんな想いで、どういった意図でこの言葉を残したのでしょう。最終的にルターはローマカトリック教会から破門され、新教(プロテスタント)を立ち上げます。カトリックが支配的な世界において、神の代理人であるローマ教皇から破門を言い渡されることは、当時の人々にとっては生きる依り代を失うことであり、自分が立っていた大地が崩れ、奈落の底へ付き落とされる思いだったことでしょう。まさしく「世界が滅ぶ」に等しい状況です。

 

それでもルターはリンゴの木を植え続けます。リンゴとは、エデンの園でアダムとイブが口にした禁断の果実、知恵の実です。旧約聖書ではリンゴを口にした二人はエデンの園から追放され、ここから人類の歴史がスタートします。

 

この言葉は、たとえカトリック教会に破門されても自分の信じる世界を自ら創造していくという、ルターの覚悟の表われなのかもしれません。そして、その意志がある限り世界は決して滅ばない、という信念。

 

ひるがえって、自分がカワシマ君のために木造ボロアパートの台所で料理を作っていたことと、世界史に残るルターの功績を同じ土俵で論じることなど論外です。でも、意外と根っこは同じなのかもしれない。たとえアパートの外側で、ゴオーっと音を立てて世界が崩れ去ったとしても、ルターがリンゴの木を植えるように、なんぴとたりとも、恩田澄江が好きな人のためにご飯を作ることを邪魔することはできない。

 

国や時代や立場が違えども人間の考えることは、たいして変わらないものかもしれません。

 

 

 

2026
01 / 14
08:30

初めて「ミヤラジ」に出た話

初めて「ミヤラジ」に出た話

年が明けた1月6日の21:00から、宇都宮市のコミュニティFM・ミヤラジの番組「乱世を生き抜く宮商人(ミヤアキビト)のチカラ」に出演しました。

 

そもそものきっかけは「宇都宮市100人カイギ」というイベントに参加したことから始まります。これはどういったテーマの集まりかというと、毎月1回の開催で、毎回肩書や仕事を問わない5人が登壇し、10分間で自身について語る・・というもの。全20回開催し、登壇者が100人になったら終了するようです。その4回目に登壇したことで、100人カイギの運営代表の山口さんから紹介を受け、ミヤラジ出演が実現したという経緯(いきさつ)です。北関東一の都市とはいえ宇都宮は狭いので、何かの会合で一緒になった人の友達が自分と共通の友達だったり、良くも悪くも、噂や話もすぐに回ります。(それが怖いところでもある)

 

自分はお酒が飲めないせいあり(意外だと驚かれますが、アルコール分解酵素を持たない家系)、積極的に飲み会に参加することも少なく、会合や集まりやイベントにあまり関わって来なかった人間で、ようやく最近「多少経験を積んだし、もうそろそろ表に出て発言してみようか」と重い腰を上げた次第。

 

でも、ラジオに出るってこと、友人たちに言えなかった・・。電波に乗せて自分の声を聴かせるのって、かなり抵抗がありましたね。それでも何人かの友人から放送中にメッセージが届き、メチャクチャ嬉しかったです。1時間の持ち時間ですが、曲が2曲入るので、語りは実質40分ほど。リクエストは中森明菜の「DESIRE‐情熱‐」とPSY.S(サイズ)の「Lemonの勇気」にしました。

 

10代に頃、私の押しは聖子ちゃんだった。今さらながら、40年経ってもま色褪せない明菜の楽曲と実力の凄さが分かってきた。PSY.Sは17歳の頃、アニメ「TO‐Y(トーイ)」の主題歌だった「Lemonの勇気」を聞いて「これだ!」と痺れた。シンセサイザーのピコピコした電子音の中にもどこか懐かしさ漂う松浦さんが作る曲、抽象的で詩的な歌詞、それを凛とした揺るぎないチャカのパワフルなボイスが歌い上げる。この三つの要素が噛み合うことで、独自の世界観を形成していたのがPSY.Sだったと思う。

 

当日はパーソナリティのルーさんこと、津田さんに上手にエスコートしてもらい、1時間があっという間でした。出演前に31個の質問状がメールで届いたので、ライターという仕事柄、詳細に掘り下げて書いてみました。それら31個の質問に対する回答を、番組の冒頭に一通り発表するんですね。

 

せっかくなので、日々私が何を考えて仕事をしているか、質問の回答を公開します。

 

 

【 ミヤアキビトを知るための31の質問】

01 お名前は?

恩田 澄江(おんだ すみえ)

 

02 親しい人からのニックネームは?

スミエちゃん

オンダ

 

03 生年月日は?(あるいは、生まれ年は?)

1968年(S43)4月

 

04 出身地は?(あるいは出身校は?)

宇都宮市生まれ(宇都宮北高卒)

 

05 中学や高校の頃、何に熱中してた?

中高時代はバスケットボール、大学でワンダーフォーゲル

 

06 今、何に熱中していますか?

仕事。既存のシステムが変化したり崩壊するなかで、従来の方法論が通用しなくなった現在、どういう思考で世界と向き合い、自分と自分の周囲の人たちが気分良く生き延びられるかが大前提で、そのために自分の立場で何ができるかを考えるのに熱中というより集中しています。

 

07 今後、やりたいことは?(プライベートで)

時間的になかなか難しいですが、漫画を読みたい。最近の作家さんの漫画は私が読んでいた頃の漫画とはぜんぜん違う切り口とストーリーだし深みもある。

 

08 日常のルーティン または 心がけていることは?

遅ればせながら、昨年秋にようやくホームページを立ち上げたので、徒然なるままに日々感じたことをコラムに書いて小まめに更新する。

 

09 尊敬する または 目標とする経営者は?

特にいません。正解は無いと思っているので、全ては自分次第。

 

10 座右の銘 または 大切にしているワンフレーズは?

「人生を内側から生きる」(人類学者の中沢新一氏の著書より)

「自分が世界を支える」(脳科学者の茂木健一郎氏の著書より)

「たとえ明日世界が滅ぼうとも、今日僕はリンゴの木を植える」(宗教改革のマルティン・ルター)

 

 

11 貴社の社名は?

有限会社ユーアンドエス

 

12 役職は? 

代表取締役

 

13 どんな事業ですか?

隙間産業と呼ばれるジャンルに特化しています。

発送代行業・内職作業請負・出張にて荷物の仕分け、ピッキング作業請負など

恩田澄江個人のライフワークとしてライター業(以前は作文の添削などもやっていた)

 

14 貴社の強みは何ですか?

ふだんは何をやっているかよく分からない会社だが「いざ、鎌倉!」の掛け声ひとつで、九ノ一のごとく有能な女性スタッフが四方から集結し機動力を発揮、さまざまが難題を解決してきた実績があります。

 

15 SDGs、または地域貢献に帰する貴社の取り組みは? 

弊社の作業場に地域の高齢女性(60代~80代)が集まり、おしゃべりしながら手を動かし楽しく内職作業に取り組んでいます。中にはご主人を亡くし、一人暮らしの女性もいます。そういった女性たちにコミュニケーションの場と、些少ではありますが年金+αの収入の場を提供しております。ある意味、コミュニティセンターとしての機能を果たす現場でもあり、弊社の存在自体が社会貢献であると自負しております。

 

16 今、貴社にとって最大のリスクはなんですか?

紙媒体のDMが減り、企業がメールやLINEで広告やDMを打つようになっていること。この流れは止まらない。

 

17 今、貴社にとって最大のチャンスはなんですか?

弊社は完全に旧式のシステムに乗ったアナログ事業を続けてきましたが、このシステムがほぼ終わろうとしています。しかし、アナログは決してゼロにはなりません。どこかに隙間は必ず出来ます。ここまで踏ん張ってきたゆえに構築されたネットワークを活用し、弊社の女性たちが取り組めるような、これまでとは形態を変えたアナログ業務に切り替えを図っております。

 

18 今、貴社に必要なものは(お金以外)何ですか?

やはり何と言ってもお金がですが(笑)、それ以外では秘書みたいな人材。そうすれば私がもう少し広範囲に動くことができます。でも、今は雇えるだけの経費が出ないのが現実。

 

19 今後、貴社が取り組みたいことは何ですか?

女性のコミュニケーション力や器用さを活かした事業を構築したい。

 

 

20 今の仕事に就いたきっかけは?

サラリーマン時代、その時務めていた会社の社長さんが事業をたたむことを決め、継続できる部門を引き継いで起業しました。

 

21 今の仕事で最も充実を感じる瞬間は?

スタッフの皆さんがお互いをフォローしながら、楽しそうに仕事をする空間が生み出す穏やかな空気を感じる時。

クライアントさんに「恩田さんに救われたよ」と言われる時。

 

22 今の仕事で最も大切にしていることは?

和を以て貴しと為す(わをもってたっとしとなす)

 

23 今の仕事でピンチだった時、助けてくれたのは何(誰)ですか?

金銭的なことでは身内、仕事においては若い頃から共に仕事をしてきた取引先の営業担当の方。新しい事業を弊社に振ってくれました。そのお陰で今があります。

 

24 「鳴かぬなら?」(○○○○○○ほととぎす)

鳴かせてみせようとまでのおこがましさはないが、鳴くまで待ってもいられない。だから鳴かせてみせようというマウントは取らずに、傍らに寄り添いつつ自然に確実に距離を縮めていくよう努める。

 

25 宇都宮の好きなところは?

ほどよく都会、ほどよく田舎。バランスが良い。

 

26 宇都宮の「ここ変えたほうがいいんじゃないかな」なところは?

駅東が工業団地、マンション群を抱える近代都市的な風景なら、駅西側はガラっと雰囲気を変えて歴史や文化、アート的側面をアピールできる街づくりを期待したい。

 

27 最近、腹が立ったことは?

同居する母親と会話すると訳がわからんことを言うので腹が立つことが多くなった。実にくだらないことがきっかけで言い合いになるが、そこは親子なので一過性で終わります。

 

28 最近、泣きたいくらい悲しかったことは?

起業して以来、ずっといっしょに仕事をしてきたスタッフさんの1人が急逝したこと。長くいるスタッフは70歳前後になり、確実に毎年歳を取っているのですが、残った者たちは出来ることを可能な限りがんばろうと誓い合いました。

 

29 最近、笑ったことは?

しょっちゅう笑っています。

 

30 最近、嬉しかったことは?

獣医さんからあと一週間しかもたないかも…と言われた猫(保護猫4匹おります)が復活し、元気になったこと。世の中の猫たちが丸くなって穏やかに眠れる平和な世界が続きますように。

 

31  今、一番感謝をしたい人は?そしてその人にメッセージを。

いつも私のサウンドバックになってくれて、私のやり場のないストレスを全て受け止め、さっさと流し一晩寝れば全て忘れてくれる母親に心から感謝し、いつもは決して口にしないが「お母さん、いつもありがとう。本当は感謝しているよ。お母さんの娘で本当に助かりました」の言葉を送ります。

 

 

 

2026
01 / 09
23:30

地震

今年も年明けに、中国地方で大きな地震がありました。定期的にやってくるので、「また今年も来たか」と、いけないことなのでしょうが地震慣れしている自分がいます。

 

あの東日本大震災からまもなく15年が過ぎようとしています。早いものです。「生きている間に、こんな悲惨な光景を見るなんて・・」と、当時は津波の映像をテレビで見ながら涙が止まりませんでした。東北地方は学生時代を過ごした自分の第二の故郷であり、それらの地域が真っ黒な水に飲み込まれ、その後発生した火災によって焼き尽くされていく様を、自分の身が切られるような思いで、ただただ見ているしかありませんでした。ラジオから「浜辺に300体ほどの遺体が打ち上られているという情報が・・」という放送が流れ、「そんなの映画の中の話じゃないの?」と耳を疑いました。

 

雪も降っていた。3月だというのに、あの日はものすごい寒い日で、高台に避難した人たちが自分の家や思い出が、いとも簡単に押し流されていくのを黙って見守ることしかできず、その震える身体の上に白い雪が積もっていく。こんなことってあるのかな?この人たちがこんな目に合わなければいけないほど、いったい何をしたというのだろう?・・と、神や仏は何やってんだ!と怒りさえも覚えました。とにかく、まずは神様この雪を止ませてください。冷たい水に濡れて凍える東北の人たちを、少しでも太陽の光で温めてくださいと、祈るしかありませんでした。

 

震災から少し経って、平成天皇ご夫妻、今の上皇様と上皇后さまが二人で被災地を訪問された際、現地に到着したお二人は、まず海に向かって深々と頭を下げました。これは普通に考えれば、海に流された人たちに向けての慰霊と鎮魂の意味だったのでしょう。一方で、日本国の天皇として、人知を超えた力を持つ「自然」という存在に対し、畏敬の念と祈りを示されたのだろうと、自分は直感的に感じました。

 

これほど多くの人命と生活を奪った憎き海に対してさえも、日本の天皇は深く頭を垂れるのです。「これが天皇なんだ」と、不思議な感動を覚えたシーンでもありました。天皇の真の存在意義は「祈り」であると、聞いたことがあります。悲しみや憎悪、妬み、罵詈雑言が渦巻く娑婆の世界で、天皇だけは祈りを止めないのです。あらゆる災難災厄を被り絶望の淵に立たされた時、唯一人間にできることは祈ること、確かにそれだけかもしれないと、震災の惨状を見ながらふと、思ったりもしました。

 

2000年に刊行された村上春樹の小説に「神の子供たちはみな踊る」という短編集があります。

1995117日の早朝に阪神・淡路大震災が起き、神戸の町が大きく被災しました。何かを感じたのか、あの日の朝、目覚ましのアラームも鳴っていないのに、なぜか540にパっと目が覚めたのです。何気なくラジオを付けると、まもなく地震のニュースが流れてきました。神戸出身の村上春樹は、懐かしい故郷の町が崩壊していく様を、どういう気持ちで見ていたのでしょう。その後に描かれた小説です。なので、すべての短編に地震の影が直接的、間接的にまとわりついているストーリーだった気がします。

(私は知りませんでしたが阪神・淡路大震災から30年経った2025年に、この短編集を元にNHKがドラマ化し「地震のあとで」という4回シリーズで放送されたようです)

 

この短編集の中に「かえるくん、東京を救う」という小説がありました。信用金庫か信用組合のサラリーマンとして融資の返済の交渉を担当する一人暮らしの孤独な主人公の男のもとに、ある夜、人の背丈もある大きなカエルが現れて彼に頼みごとをします。地下に棲む巨大なミミズが暴れて東京に大きな地震を起こし、人がたくさん亡くなるから、それを阻止するために自分といっしょにミミズと闘ってほしい、という内容でした。それは主人公の男でなくては出来ないことだと、カエルは言います。結局、男は地下に潜り、カエルといっしょにミミズを倒し、東京を地震から救います。その後、男は誰かの手にによって狙撃され病院に運ばれた夜、満身創痍のカエルが病室にやってきて、男に語りかけます。

 

ざっくりとこんな話ですが、これを読んだのがちょうど東日本大震災の後でした。これはファンタジーと思いつつ、いや、もしかしたら日々、こんなことが自分の知らないどこかで起きているのかもしれない・・という思いも真面目にありました。あんな非現実のような想像を超えた災害が起きるのだから、世界のどかかでお化けミミズが暴れて地震を起こし、巨大なカエルと人間がそれを阻止しようとタッグを組んで、お化けミミズを叩き潰して世界を救っている非現実な出来事だって、あり得るかもしれない・・と。

 

ミミズって、もしかしたらこの世に巣くう人の念とか欲とか、そんなドロドロしたものが具現化したものかもしれませんね。それを倒す人間は、決してマッチョでもなく、正義感溢れる戦士でもなく、ごく普通の、地味だけど、日々自分のやるべきことに一生懸命に取り組んでいる人物だったのです。

 

ついでの話で、深海誠監督の作品「すずめの戸締り」にも、地震を引き起こす巨大ミミズが登場します。おそらく、深海監督は「かえるくん、東京を救う」から着想を得たのだと、私は密かに思っています。

 

2026
01 / 03
16:00

謹賀新年

謹賀新年

今から24年前の午年正月に「人間万事塞翁が馬」と年賀状に書いてきた人がいました。

当時はまだ若く無知で、この故事の意味を深く理解していませんでした。

平たく言えば「幸が禍につながることもあり、逆に禍が幸につながることもある。

だから一喜一憂するな」という意味ですが歳を重ねた今、経験値としてそれが分かるようになってきました。

幸福も続きませんが、不幸も続きません。

新たなフェーズに入った2026年が皆様にとって実り多き年でありますように。

今年もよろしくお願いします。

2026年 元旦

 

有限会社ユーアンドエス

代表取締役 恩田 澄江

 

以上は今年の年賀状の文面です。友人たちから「正月からくどいんだよね~」と言われながらも、気にせず毎年書きたいことを書いて送っています。

それでも「毎年、何が書いてあるか密かに楽しみにしてる」とか「年賀状の文面に癒されます」と言ってくれる奇特な友人もいるわけです。

 

全員が納得するものなどありません。無難に最大公約数にするか、もしくは一部の人間に刺さるかのどちらかです。

そのどちらを選択するかは本人次第です。もう60年近く生きてきたので、今さら媚びたり人の顔色を気にするのもつまらない。

 

外側から与えられたフォーマット通りの人生を送るよりも「人生を内側から生きる」(中沢新一の本の中の言葉)ことを良しとしたいと思っています。

 

与えられることが当たり前の受け身の人生には、常に不平不満がついてまわります。

でも、自ら選択したものについては真摯に受け止め責任を負わねばなりません。

選択した人生をどうアレンジし気分良く過ごせるか、それを楽しむ度量とか深みを身に付けていきたいですね。

 

戦場ヶ原雪景色.jpg

神社の画像は日光二荒山神社。毎年恒例で、正月2日にいろは坂を上って参拝しています。

今年は奥日光に入ったとたん雪が降り始め、あっという間に一面雪景色になりました。

気温は-5℃ですが、日光の山々の神聖で清涼な空気にさらされ、心身が清められます。

 

煮込みハンバーグ.jpg

 

 

カレードリア.jpg

 

これまた恒例の行事ですが、参拝の後には戦場ヶ原の三本松茶屋さんで食事をします。

こちらは明治4年創業という奥日光では最古参のお店だそう。

店内に古い時代の茶屋のモノクロ写真が飾ってありますが、まだ人の匂いのしない原始の気配を色濃く漂わせる戦場ヶ原の一角、

店の由来になった3本の松の木の傍に、素朴な木造の茶屋がポツンと建っている様子は、何とも奥日光の歴史を感じさせる写真です。

一転、現在のお店は標高1,400mの場所であるにも関わらず、「この場所でこのクオリティ?!」と驚くくらい、オリジナルのお料理を提供してくれます。

よくありがちの「うどん、そば、ラーメン」だろうと、あなどってはいけません。

絶品のデミクラスソーズの煮込みハンバーグ、絶品スープカレー、カレー風味のチーズドリア、ハヤシライス、パスタ等々、奥日光の景色を見ながらいただく美味しいお料理に大満足。

さらに標高1,400mという物理的条件を加味すると、値段もかなり良心的な設定だと思います。

 

 当たり餅.jpg

 

今回はお正月企画ということで、お箸袋の内側に当たりマークがあれば限定50個のプレゼントがもらえるとのこと。

なんと!私と母親の箸袋の内側に同時に当たりマーク発見!

クジ運とは無縁の私は思わずスタッフさんに「これ、全員当たりになってない?」と聞いたら、

「当たりが全然出なかったので、心配してたところなんです」と言われました(笑)。

店内からも「すごーい」の歓声。

三本松茶屋さん、年始早々、幸先良いスタートを切らせていただき感謝申し上げます!

 

スー.jpg

 

【おまけ】

我が家の女帝猫・スー様。今年もイカ耳でキリリと美しくあられます。

何事にも妥協せず自分の意志を通すスー様は、他の3匹(全員オス♂)からも一目置かれる存在です。

思えば10年前、まずスー様が我が家に初めて踏み込んできました。

「ここはいける」と判断した後、兄や弟を引き連れてきたスー様。

危険を冒しても、自分の兄弟たちの居場所を確保しようとした健気で愛に溢れたスー様に、皆ひれ伏すしかありません。

 

 

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