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コラム

2025
12 / 22
12:15

国家を持たない人々

国家を持たない人々

11月~12月は物流の末端を担う弊社の繁忙期でコラムを書く時間と体力を失うため、むか~し勝手に書き留めたコラムを多少手直し掲載させていただきます。若さゆえの純粋さや反骨心も垣間見られ、なかなか心の琴線に触れると自画自賛しております()

 

 (通信作文教室2010年10月号の編集後記より抜粋)

 

 先日東京に用事があって出かけたとき帰りに新宿駅前のジュンク堂にふらりと立ち寄ったら、七階のエレベータを降りた真ん前に、たまたま「星野道夫」の特設コーナーが設けてありました。何気なく本を手にとって、結果として目が釘付けになりました。星野道夫をご存知でしょうか。もう故人ですが、彼がカムチャッカ半島でヒグマに襲われ亡くなったことを伝えるニュースを聞いたことをよく覚えています。それは19968月のことで、そのニュースではじめて「星野道夫」という動物写真家の存在を知りました。「そんな写真家がいたんだ・・」という程度に。

 

 動物写真家がテントで就寝中にヒグマに襲われるという、その死がかなりショッキングな内容だったにも関わらず、その時は彼の作品を努めて見てみようとはしませんでした。だから星野道夫の作品をじっくり見たのは、このジュンク堂での特設会場が最初になります。星野氏はアラスカを拠点とし、アラスカから北極圏にまたがる自然や野生動物、そして極北の大地に一万数千年前から住みつき狩猟生活を営んできたインディアンやエスキモーの人々や文化を撮り続けた写真家でした。大変筆まめな人で写真と共に多くの美しい文章を書き残しています。

 

 彼の撮ったカリブーやムースやグリズリー熊の写真を見ながらそこに添えられた言葉を立ち読みするうちに、私の周囲から文明が創り出す人工的な雑音は消えゆき、頭の中にアラスカの豊かで果てしない大地がいっぱいに広がり、そこに暮らす人々が私に語りかけてきました。星野氏が構えるレンズの向こうの動物たちの表情は限りなく優しく、誇り高いものでした。翼を広げた真っ白なシロフクロウは神様の化身みたいに威厳に満ち、巨大なグリズリー熊が地面に突っ伏して眠る顔は、まるで夢見るような祈るような表情でした。

 

 星野氏の写真集やエッセイが並べられた隣に、関連本としてインディアンの本が置かれていました。19世紀から20世紀初頭にかけてのアメリカの西部開拓時代、インディアンたちにとっては部族の存亡をかけた苦難の時代でした。その時代を生きた当時の酋長やシャーマンたちの毅然と彼方を見据える深い眼差しと、雄々しい姿を伝える写真と言葉に心打たれ、星野道夫の本と合わせてそのアンソロジー(大好きな中沢新一の訳だったこともある)を思わず買い求めたのです。

 

 まだ地球が最後の氷河期にあった約14千年前、ユーラシア大陸からマンモスを追って凍ったベーリング海峡を徒歩で渡りアラスカからアメリカ大陸へと広がっていったハンターたちがインディアンの祖先と言われています。彼らは私たちと同じモンゴロイドです。白人のコーカソイドがこの土地に入り込むのはそのずっと後、社会の授業で習ったとおり15世紀の大航海時代を待たなければなりません。インディアンたちの言葉は心の深い部分に響き、長い余韻を残します。時にズキンと胸に突き刺さる矢のように、時にくすんだ世界を洗い清める雨のように。

 

 よく言われることですが、彼らは国家を持たない人々でした。部族はありました。ナヴァホとかアパッチとかミクマクとかスー族という大小の部族がかつて北アメリカに四百ほど点在し、それぞれの習慣と戒律を守り生活していたといいます。私の世代なら、ケビン・コスナー主演の映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」を観た人は多いのではないでしょうか。あれには、たしかスー族が出て来た気がします。

 

 国家や君主や一神教のように、特定の何かを信仰する習慣を持たないインディアンは何より自由でした。彼らは部族ごとにテントを張りながら広大な土地を季節とともに移動し、自然に感謝し祈りを捧げ、動物や魚を狩り木の実を採って生活していました。国家や政府やもちろん貨幣を持たないわけだから、税金を納めるという習慣もなければ土地を所有するという概念もありません。白人によってインディアン社会に貨幣経済が導入される以前は、貧富の差による階級というのもなかったことでしょう。彼らの上に国家という目に見えない巨大なシステムがない代わりに、彼らはいつでも国家の向こう側の果てしない世界と直接つながり、その恩恵や脅威を直に肌で感じていたことでしょう。

 

 彼らの精神は常に孤高であり、報酬を払って他人に守ってもらうとか食べさせてもらうという考えは微塵もなかったようです。母なる大地は所有する対象ではなく、昔からここで暮らしてきたインディアンが望み、一定のルールと感謝する心を忘れなければ、家族と部族が飢えることがない程度にはちゃんと食べ物を与えてくれる存在でした。そんな人々のなかへ、自称文明人と称する者たちが貨幣や所有や権利という習慣と概念を持ち込んで、それまでなんの問題もなくやってきたインディアンの生活を「野蛮だ」と否定し、自分たちの習慣を押し付けたわけですね。

 

 印象深いのは、インディアンたちの他者や自分たちを取り巻く世界との関わり方です。日本国憲法には『国民主権』が明記されています。法治国家ではすべての国民は法の下に平等で、国民の権利は法の下に保証されます。自分たちの権利や生活を守ってもらうために、国民は国家に税金を払い、国家と契約するわけですね。だから「こっちは国にお金を払ったんだから、その分ちゃんと国民の生活を守って老後も保証してくれないと困る」という理屈になるのも当然です。たしかに筋は通っているけれど、インディアンの厳かな言葉と比べてみると、どうにも幼稚に聞こえるのはなぜでしょう。

 

 たしかにインディアンが自由に生きていた時代のように、私たちは山で動物を狩り、川で魚を釣って自給自足の生活をすればいいというわけにはいきません。絶対に・・。自分自身も生まれてこのかた資本主義と貨幣経済にどっぷりつかり、国家と法というセキュリティーシステムに身を委ねてきました。でも、どこかで違和感を感じていました。それゆえ、自分たちと祖を同じくするインディアンの言葉に、どうしようもなく惹かれてしまうのかもしれません。彼らは私が生まれる百数十年ほど前までは、北アメリカの緑豊かなプレーリー地帯で馬を駆っていました。勇気と強さの印である鷲の羽根を頭に刺して。

 

 その人々は、今はもういません。でも、人生との向き合い方、物ごととの関わり方は彼らが残した言葉から学べるはずです。以下、『それでもあなたの道を行け/ジョセフ・ブルチャック=編』よりインディアンの言葉を引用します。

 

親愛なる兄弟、私はあなたのことが、魂の底からあわれな人に思える。私の忠告を受け入れて、ヒューロン族のもとから去ってくれ。なぜなら、私はあなたの人生の条件と私のそれとのあいだに、天と地ほどの違いのあることを見るからだ。私は自分自身や自分の生き方の主人としてふるまうことができる。自分の自由は完全に自分のものだし、自分のしたいことをする。私は部族の先頭を行く者であるし、その最後を固める者でもある。私は誰のことをも恐れてはいない。なぜなら、私はただグレート・スピリットによってだけ生きているからだ。ところが、あなたはどうだ。あなたは体も魂も、あなたより偉いキャプテンにゆだねている。あなたの総督は、あなたの処分を決めることができるし、あなたは、自分がしたいと思うことを実行するいかなる自由ももっていない。泥棒を恐れ、偽証を恐れ、暗殺を恐れている。あなたは自分より高い地位にある人々のもつ力に頼って生きている。どうだ、私の言っていることは、間違っているか

 

17世紀、ニューファンドランドプラセンシャにおいて

フランス植民地総督代理、デ・ラオンタン男爵に向かって語られた言葉

コンディアロンク(ヒューロン族)1690年頃