コラム
街の化粧品屋さん
気が付けば、周りはドラックストアだらけになりました。通りを挟み異なるドラックストアがはす向かいで営業していたり、同じ並びで隣接していたり、住宅街の一角のさほど広くない土地に建設されるなど、まるでコンビニ状態です。
でもコンビニよりも安く品ぞろえも豊富で、ドラックストアと言いつつも冷凍食品や加工食品にお酒類、さらにちょっとした野菜や肉まで置いてあり、本来の薬品と化粧品にスーパーマーケットの機能も備えフル装備に進化しています。
そこに「本日化粧品〇倍ポイントデー」などと銘打ちポイントが大幅に加算されるわけですから、目端の利く主婦はチラシをじっくり見比べて、出来る限り効率よく店を回り買い物しながら賢くポイントもためるわけです。
かつて商店街には必ずといっていいほど、地域に根付いた化粧品屋さんがありました。
私が初めて量販店では扱っていない化粧品を買ったのも、家族で経営する街の化粧品屋さんでした。自分の世代は高校生ではまだお化粧をしなかったので、3大メーカーの化粧水と乳液と下地とファンデーション、アイシャドウ一式をそろえたのは、大学に入学した年です。
40年近く前になりますが、今のようにドラックストアが雨後の筍のごとく乱立しておらず(せいぜい地元発祥のK薬品さんくらい)、まだ100円ショップも存在せず、もちろんネット環境など整っていないので通販サイトという概念もなく、メーカーのブランド化粧品は化粧品専門店で買うという文化が色濃く残っていた時代でした。
当時、国内化粧品3大メーカーと言われた資生堂・カネボウ(現在は花王の完全子会社)・コーセーの化粧品を使うことは自分にとって憧れであり、大人の仲間入りをする登竜門でもありました。値段も高いので子供では買えません。大学生になりアルバイトをするようになって、初めて手が届くようになりました。
宇都宮に帰省した際、化粧品専門店のドアを少し緊張しながらくぐり「初めてお化粧するんですけれども、何か選んでほしいんです。でもそんなに予算がないので…」と、たぶん、そんなふうにお店の美容部員さんに伝えたのでしょう。私の日焼けした肌を見た美容部員さんは火照りを抑えひきしめ効果があり、かつメーカーのラインナップの中でも値段が手頃な若者向けのブランドを選んでくれたことをおぼろげに記憶しています。
以来、化粧品はこちらのお店で購入するようになりました。
確かに今の時代、ドラックストアでもメーカーの一部化粧品をお値引き価格で購入でき、さらにはポイントもゲットできます。商品の情報はネットで仕入れ、店に行ったら棚から自由に取り、特に必要なければ店員さんと会話することなくセルフレジで会計できます。量販店で扱わないブランド化粧品においては、メーカーの公式HPや通販サイトで購入できます。多忙な現代人にとって、その方がわずらわしさもなく、楽だという考えも十分理解できます。
それでも、私は街の化粧品屋さんにいそいそと出向き、カウンターに座り「化粧水が切れたんだけど、今は何があるのかな?」と聞きます。すると美容部員さんが「今度ですね、すごくいいのが出たんですよ」と、おもむろに商品を後ろの棚から取り出し「お時間あればちょっと試してみましょうか?」と、お約束のようにコットンにたっぷりと液を含ませて顔や手に付けてくれます。その際「この成分はですね、業界としては初めて抽出に成功し‥‥云々」と、商品のレビューが始まります。
私はこの時間が大好きなのです。
「へえ~、そんなにすごい成分なんだ。たしかにモノが良いのはつけてみてすぐ分かる。でも、ちょっと私には高価すぎる。予算オーバーだな。次は買えるようがんばるよ」などと応じます。アイシャドウやリップなど新色のメイク商品が出れば、必ずつけてもらいます。そこでまた美容部員さんとあれこれ試しながら物議をかもし自分に似合う色を見つけたり、メイクの技術を伝授してもらったりします。この時間もまた楽しい。
美容部員さんたちは自分たちのメーカーの商品に愛と誇りを持っています。その情熱に満ちた「語り」を聞くことは私の精神を活性してくれるし、何歳になっても「美しくなるかもしれない」という希望は純粋に心ときめくものです。
以上はメーカーから店舗に派遣されている美容部員さんとのコミュニケーション。それとは別に、お店のオーナー夫妻との会話もまた奥深い。これは経営的な話となります。
現在のように化粧品がどこでも入手可能な時代、専門店は生き残りをかけて今後どう展開していったらよいかを、彼らは店で接客に追われながらも常に考えています。
そう簡単に「これだ!」という答えは見つかりません。ただし、ひとつ言えることは間違いなくこの空間には人の温もりと癒しがあり、それらを求める人たちが必ず存在するということです。
一軒また一軒と、街の化粧品屋さんが姿を消しつつあるなかで、そこで踏ん張ることによって希少価値が生まれ、何か光が見えてくるのではないしょうか。

みどりや化粧品店さん明治43年に宇都宮で創業した老舗化粧品専門店。私の高校の後輩でもある現社長は4代目で、栃木県化粧品小売協同組合の理事長も務めます。
巡り巡って養鶏場
世の中の不思議なご縁を感じた話です。
昨年の話になりますが、我が愚弟が務めていた会社を辞め「この年齢で再就職先など滅多にない」と家族がヤキモキしていた頃、懇意にしている社長さんから「誰か鶏のエサやりしてくれる人を探してるんだけど」という話がありました。
聞けば、その社長さんの知り合いが経営する平飼いの養鶏場(ゲージに入れず鶏舎の中で鶏を放し飼いにする飼い方)で人が足りず、養鶏場の社長である女性もすでに70代後半になり、毎朝10㎏を超える餌袋を抱えて鶏舎を行き来する作業がさすがにしんどくなっているという話でした。
そりゃそうですよね。たとえ若くても、朝も早ければ肉体的にも大変な作業だし、ニオイのきつい鶏舎で作業をしてくれる人を見つけるのは容易なことではないでしょう。
「今のご時世ね、そんな仕事やってくれる人材なぞ簡単には見つからないですよ」と冷たく言い放ち、ふと思い出して「いや、ちょっと待って。うちの弟が会社を辞めて就職先探しているから、一応聞いてみます」と言葉を撤回しました。
その後、よくよく養鶏場の詳細を聞いてみると「あれ?そこって、もしや…」と心当たりが浮かんだのです。その養鶏場はもしかしてどころか、父親の親友だった人の弟夫婦が始めた養鶏場でした。もう20年以上前にご主人が急逝し、それから奥さんが経営を引き継いだことも聞いていました。私自身は小さい頃に会っただけで奥さんの顔は覚えていませんが、まちがいなくかつて家族ぐるみで交流した人物です。まさか、こういう形で縁が巡って来るとは。
早速、事情を弟に話してみると「やってみる」という答え。
意外なことに養鶏場に行くようになってから、弟は予想以上に真面目に一生懸命に仕事に励みました。毎朝6時に家を出て、社長をよくサポートし、パートさんたちとコミュニケーションを取り(パートさんの多くは社長と同年代の80歳前後…汗)、どうしたら鶏たちが卵をたくさん産んでくれるか、ベテランさんたちの指導を受けながら自らも情報を取り、彼なりに課題を見つけそれを解決するために、少しずつですが改革を実行していました。
あれから今年の秋で1年が経ちますが、弟が入ってから養鶏場は変わったようです。弟が実行したささやかな改革が功を奏したのか、鶏たちが穏やかになり収卵率がアップしたとか。穏やかになる=ストレスフリーなわけで、人間も同様ストレスが消えれば本来備わった身体の機能が活性化します。
「こんな才能があったのね~」と私は感心しきりでした。
民族学者の折口信夫が提唱した「マレビト」の話があります。かつて、共同体の外側からやって来る異界のモノたちは膠着した共同体に新しい情報や知識を与え、共同体を刺激し活性化させる存在だとされました。それらは歓迎されるものであり、そのモノを折口は「マレビト」と呼びました。
弟が養鶏場にとっての「マレビト」だったら幸いです。そして何よりも、どうか今度の仕事が長続きしますように!


産みたてホヤホヤの平飼い卵。放し飼いなので卵の質の良さは太鼓判!これしか食べないという一定のニーズがあります。人手がどうしても足りない時、私もお手伝いに入ります。第一次産業はどこも人手不足。ゲージ飼いなら手間が減り管理もしやすく人材も少なくて済みますが、平飼いは人手が不可欠。ここが大きな課題です。

新しい鶏を受け入れる前、鶏舎を掃除し籾殻をすべて新しいものに入れ替えます。
