コラム
巡り巡って養鶏場
世の中の不思議なご縁を感じた話です。
昨年の話になりますが、我が愚弟が務めていた会社を辞め「この年齢で再就職先など滅多にない」と家族がヤキモキしていた頃、懇意にしている社長さんから「誰か鶏のエサやりしてくれる人を探してるんだけど」という話がありました。
聞けば、その社長さんの知り合いが経営する平飼いの養鶏場(ゲージに入れず鶏舎の中で鶏を放し飼いにする飼い方)で人が足りず、養鶏場の社長である女性もすでに70代後半になり、毎朝10㎏を超える餌袋を抱えて鶏舎を行き来する作業がさすがにしんどくなっているという話でした。
そりゃそうですよね。たとえ若くても、朝も早ければ肉体的にも大変な作業だし、ニオイのきつい鶏舎で作業をしてくれる人を見つけるのは容易なことではないでしょう。
「今のご時世ね、そんな仕事やってくれる人材なぞ簡単には見つからないですよ」と冷たく言い放ち、ふと思い出して「いや、ちょっと待って。うちの弟が会社を辞めて就職先探しているから、一応聞いてみます」と言葉を撤回しました。
その後、よくよく養鶏場の詳細を聞いてみると「あれ?そこって、もしや…」と心当たりが浮かんだのです。その養鶏場はもしかしてどころか、父親の親友だった人の弟夫婦が始めた養鶏場でした。もう20年以上前にご主人が急逝し、それから奥さんが経営を引き継いだことも聞いていました。私自身は小さい頃に会っただけで奥さんの顔は覚えていませんが、まちがいなくかつて家族ぐるみで交流した人物です。まさか、こういう形で縁が巡って来るとは。
早速、事情を弟に話してみると「やってみる」という答え。
意外なことに養鶏場に行くようになってから、弟は予想以上に真面目に一生懸命に仕事に励みました。毎朝6時に家を出て、社長をよくサポートし、パートさんたちとコミュニケーションを取り(パートさんの多くは社長と同年代の80歳前後…汗)、どうしたら鶏たちが卵をたくさん産んでくれるか、ベテランさんたちの指導を受けながら自らも情報を取り、彼なりに課題を見つけそれを解決するために、少しずつですが改革を実行していました。
あれから今年の秋で1年が経ちますが、弟が入ってから養鶏場は変わったようです。弟が実行したささやかな改革が功を奏したのか、鶏たちが穏やかになり収卵率がアップしたとか。穏やかになる=ストレスフリーなわけで、人間も同様ストレスが消えれば本来備わった身体の機能が活性化します。
「こんな才能があったのね~」と私は感心しきりでした。
民族学者の折口信夫が提唱した「マレビト」の話があります。かつて、共同体の外側からやって来る異界のモノたちは膠着した共同体に新しい情報や知識を与え、共同体を刺激し活性化させる存在だとされました。それらは歓迎されるものであり、そのモノを折口は「マレビト」と呼びました。
弟が養鶏場にとっての「マレビト」だったら幸いです。そして何よりも、どうか今度の仕事が長続きしますように!


産みたてホヤホヤの平飼い卵。放し飼いなので卵の質の良さは太鼓判!これしか食べないという一定のニーズがあります。人手がどうしても足りない時、私もお手伝いに入ります。第一次産業はどこも人手不足。ゲージ飼いなら手間が減り管理もしやすく人材も少なくて済みますが、平飼いは人手が不可欠。ここが大きな課題です。

新しい鶏を受け入れる前、鶏舎を掃除し籾殻をすべて新しいものに入れ替えます。
