コラム
鶴居村に寄付しました!
いったい日本人の感覚はどうなってしまったのかと、メガソーラーの映像を見るたびに心が痛んでいました。東日本大震災以降の脱原発、地球温暖化防止策としての脱化石燃料の大きな切り札として国を挙げて大々的に進められてきた太陽光発電政策。
自然エネルギーは地球環境にやさしいという触れ込みで始まったはずでしたが、十数年を経て気付けば山は削られ森林は切り倒され、のっぺらぼうに整地された土地に無機質なパネルが大量に設置されるという結果となりました。これ、どう考えたって環境にやさしいか?明らかな環境破壊の極みとしか思えません。自然豊かなこの国に生まれて、この歳になってこんな景色見たくなかった。多くの日本人がそう感じているはずです。
それでも日本人は従順だから、お上のやることには安易に異は唱えない。でもさすがに2025年は、今まで溜まり溜まってきた太陽光発電に対する違和感や不満が「いい加減にしろ!」と、表に噴き出してきた年でもありました。福島県吾妻連峰中腹に現れたメガソーラー施設も話題になりました。住民曰く「ある日、いきなり見慣れた山が切り開かれ山肌が剥き出しになった」といったようなコメントを多く見ましたが、住民たちは寝耳に水という感じでした。
これさ、説明責任とか環境アセスメントとかどうなっているのよ。どうして地域に知らされず唐突に開発が始まるのか。林野庁勤務の友人に聞いたところ、例えばバブル時代、どこかの大資本が山の中にゴルフ場やリゾートホテルやレジャー施設の建設計画を申請し、県が開発許可を出していたとする。ところが建設前に大資本の経営が破綻して計画が頓挫したとする。しかし一度開発許可が下りた土地はたとえ計画が破綻しても、許可が取り下げられることはないそうで、開発許可を維持したままま放置される。それから数年もしくは十数年後、別の大資本がその土地に目を付け、その時代の流行り物をそこに計画する。バブル時代はゴルフ場やスキー場だった。その次に来たのが、国のお墨付きを得て税制優遇や補助金も出る太陽光パネルだ。エコなんてものは単なる建前で、そろばん勘定のビジネスでしかない。耳に心地よい言葉は都合よく利用されやすい側面があります。
「リゾート法」なるものが制定されたのが1987年。まさしくバブルの真っ只中で、この法律の制定は当時話題になりました。正式には「総合保養地域整備法」というそうです。ウィキでは「リゾート産業の振興と国民経済の均衡的発展を促進するため、多様な余暇活動が楽しめる場を、民間事業者の活用に重点をおいて総合的に整備することに関する法律である」となっています。この法律の制定後、森林の開発許可が下りやすくなったことで全国津々浦々、様々なリゾート施設が計画され、バブル終焉とともに破綻していきました。残されたのは乱開発された森林や施設の残骸です。
結局、上物がレジャー施設から太陽光パネルへ変わり、その土地に縁もゆかりも無いどこかの誰かに巨大な利権が流れ込む仕組みは過去の繰り返しです。いや、それでもレジャー施設は便乗効果で地元経済に少なからず貢献したかもしれないが、太陽光パネルは地域へ何を還元するのでしょうか。しかも厄介なのは、自治体との交渉窓口は一応日本企業(ペーパーカンパニーの場合もあるそう)になっていますが、裏には外国籍の資本が虎視眈々口を大きく開けて控えているケースがあることを忘れてはなりません。
これまで巨大な資本と国が結託して遂行する計画の前に、地域は無力でした。しかし今回の件はたとえ小さな自治体でも声を上げ、志を同じくする仲間を集いその意志を形にし、巨大な力に「NO!」を突き付けられることを世に知らしめた出来事だと思います。それは自民党総裁選への出馬記者会見において「これ以上私たちの美しい国土を外国製の太陽光パネルで埋め尽くすことには猛反対だ」ときっぱりと宣言し、メガソーラーの規制強化へと大きく舵を切った現高市政権の影響もあるでしょう。2025年、沈黙していた声がいよいよ表に出て来ました。私たちは何を思い、何を守らなければならないのか。時代は確実に変わっています。

