コラム
2026衆議院選挙当選!
ご報告が遅くなりましたが、このたび盟友・柏倉ゆうじ君が比例復活当選を果たしました!
おかげ様で十数年ぶりに、衆議院に返り咲くことができました。
応援いただいた皆様、本当にありがとうございました。
私もこの1週間は仕事の合間にお礼行脚と忙しく、ようやく本日パソコンの前に向かうことができました。
さて、前回のコラムに書いた「成るか、400年越しの御恩返し」のお話について、
こういうのって、ひと昔前なら「そんなこと、あるわけない、ただの妄想」と切り捨て御免でしたが、
読んだ方からの感想が、意外にも好意的なのは自分でも驚きでした。
「あの話、自分の中でストンと腑に落ちました。太古の昔から自分の命は、知らない女性たちが出産で繋いでくれたおかげで今の自分が生まれたことを想うと、感謝の気持ちでいっぱいになります」
と、やはり女性たちは感度がいい。スっと自分の中に入ってくるようです。
一方、男性からもレスポンスがありました。その方は歴史好きで、戦国時代に山形市近郊の長谷堂城で繰り広げられた「慶長出羽合戦」を知っていました。
「上杉の直江兼続と最上義光が戦った慶長出羽合戦や長谷堂城は知ってるけど、あの土地が柏倉村だったことは知らなかった。
不思議な話だけど、ロマンがあるしドラマチックだよね。山形に住んだのも、縁があったのかもね」と、けっこう面白がっていた。
そう、自分が「山形」というキーワードを意識したのは、小学校5年生の時。今でもハッキリ覚えています。
ある日、隣のクラスの先生が朝の朝礼に来て「小島先生は今日から3日間、山形県に出張となります」と話しました。
すると「山形県って、どこですか?」と質問が飛びます。世界が圧倒的に狭い小学生です。
せいぜい自分の自宅と学校周辺の自転車で回れるくらいのエリアか、もしくは遠足で行った日光や益子に大平山、
遠くても夏に大渋滞のなか、海水浴に連れて行ってもらう茨城県大洗海岸程度しか知らない当時の小学生は、「山形県」という未知なる土地が、一体どこにあるのか皆目見当がつきません。
「そうね、ずっと北の方、東北地方って呼ばれる場所」と、隣のクラスの先生は言いました。
私は休み時間になると、廊下に出て窓から北の方を見つめました。
当時はまだ田んぼに囲まれていたので、廊下の窓から遙かに高原山や那須連山を、眺めることができたのです。
季節は晩秋の頃だったと思います。そのため北の山側の上空には、何とも不穏な鉛色の雲が広がっていました。
「山形県・・。あの山の、さらに遠くにある場所」
子供心に、郷愁のような憧れのようなものが、自分の中に芽生えた瞬間でした。
この時は、まさか自分が学生時代を山形県で過ごすことになろうとは、夢にも思いませんでした。
そして、まさか旧柏倉村を本家とする人間の選挙を手伝うことになろうとは!
本当に人の世の縁とは、思いもよらないところでつながる摩訶不思議なものです。
世の中は「縁」と「運」で構築されていると、思う時があります。そして縁と運は、非常に密接な関係があるということです。
なにはともあれ、当選にはいくつかのラッキー要素もありました。
それまで「しょせん西日本の党・東日本ではムリ」と、歯牙にもかけられなかった日本維新の会でしたが、高市政権と連立を組んだお陰で政権与党となり、イメージが底上げされました。
さらに、栃木1区は女性候補が立たなかったことも、幸いしました。
もし、若い女性が出ていれば、また結果は違っていたかもしれません。
しかし、やはり1番は、柏倉ゆうじの政治への執念と情熱です。
よくぞここまで、集中力を切らさず耐え忍びました。最後はそこに尽きるでしょう。
さあ、これはゴールではありません。ここからがスタートです。
柏倉ゆうじは私と同世代、長い浪人生活のお陰で、在野で多くの有権者と接し、生の声を聴いてきました。
それを強みとし、私たちの代弁者として、国政で活躍していただくことを強く願います。
今後とも、柏倉ゆうじを応援いただきますよう、心からお願い申し上げます。
