有限会社ユーアンドエス 代表取締役/ライター 恩田すみえのホームページ

コラム

2026
02 / 24
21:00

冬のオリンピック・めくるめく女子フィギュア

223日、日本時間の早朝、2026年ミラノコルティナオリンピックが閉会式を迎えました。

「冬のオリンピックは競技種目も少なく、いまいち盛り上がらない」という意見も聞きますが、自分は冬のオリンピックが好きかもしれません。冬は最も自然が過酷で、ありのままの姿を見せる季節です。

山登りをしていた学生時代、3月上旬に残雪期の雪山に入る春山合宿がありました。3月とはいえ、東北の山はまだまだ深い雪に包まれています。雪も降るし吹雪にも見舞われます。でも、生き物の気配を消し、音をも吸い込む白銀一色の世界は、「無」そのもので本当に美しい。

雪と氷の季節に繰り広げられる冬のオリンピックはどこか素朴で、遊び心を感じます。厳しい冬を乗り越えるために人間が編み出した道具を駆使し、自然といかに巧みに戯れるかを試される祭典ともいえるでしょう。

 

LIVE中継を明け方までテレビにかじりついて見ていた時代もありましたが、だんだんそこまで執着して見なくなったオリンピック。自分で会社を始めてから忙しくなったこともあり、いや、忙しいというより、オンとオフが曖昧になり、気持ちと時間に余裕がなくなったのかもしれないな。

それでも、やはりフィギュアスケートは見ずにいられません。

最古の記憶は小学生だった1970年代、日本はまだフィギュアスケートの黎明期。

渡部絵美選手が日本人として初めて、オリンピックで上位入賞を果たしました。自分も女の子だったので、華やかな衣装を着て、氷の上でジャンプしてくるくる回る姿に「すごおい!きれい!」と単純に興奮したのかもしれません。

 

それから十年余経た1980年代、私と同世代の伊藤みどり選手が、女子選手として世界で初めてトリプルアクセルを成功させ、女子には不可能とされた扉をこじ開けました。しかも高さも飛距離も男子並みという、伊藤選手の豪快なトリプルアクセルジャンプ。本当にすごいジャンプで、あれをリアルタイムで見られたことは幸せです。

そのジャンプをひっさげて迎えた1992年のアルベールビル五輪では、フィギュアスケート競技で日本人初の銀メダル獲得!興奮しました。

 

伊藤選手と同時期に活躍したドイツのカタリナ・ビット選手も、記憶に残る選手です。真っ赤な衣装を着けて、情熱的かつ妖艶にカルメンの曲に乗って氷上を舞う姿は、まさに芸術作品そのもの。ビット選手がライバルの伊藤選手のスケーティングを評し、「ただ飛んで回ってばかりのスケートは芸術じゃない」と酷評したとかしないとか。

 

確かに、伊藤選手が現れる前の女子フィギュアスケートは、見た目の美しさや芸術性が重視されていたのかもしれません。そういう観点からすると、当時の日本人は不利だったのです。

欧米人に比べ背も低く、手足が短く体型もずんぐりしているし、足も太い。「見栄え」からすると、どうしてもスラリとした欧米人に劣ってしまう。

その意味でも、伊藤選手はパイオニアでした。背は140センチ台と小柄だった。ただ、伊藤選手のトレードマークでもある逞しい見事な筋肉質の足から放たれる豪快なジャンプは、欧米選手には真似のできない唯一無二のものでした。女子フィギアの歴史を変えた、偉大なるスケーターです。

 

伊藤選手の実績が日本フィギュアスケートのステージを一気に世界レベルへと引き上げると、その後は様々な個性豊かな選手が登場し、世界で互角に闘うようになりました。そして、荒川静香選手が2006年トリノオリンピックで日本人、アジア人としても初の金メダル獲得。身長もあり、スラリとした荒川選手の肢体としなやかさ、誰もが息を飲む荒川選手にしかできない美しいイナヴァウアー。トゥーランドットの壮大な音楽に乗って芸術性と技術を見事に表現したスケーティング。滑る喜びと、スケートへの愛が一体となった荒川選手のフリーは、心に深く刻まれた決して忘れることができない演技の1つです。

 

その荒川選手に憧れて、スケートを始めたという浅田真央選手。愛らしくて、素晴らしい3回転ジャンプと確かなスケーティングで皆に愛された真央ちゃん。伊藤みどり選手以来、トリプルアクセルを飛ぶ女子スケーターとして、日本中の期待を背負いました。2010年のバンクーバー五輪ではトリプルアクセルを成功させながら、宿敵キム・ヨナ選手に敗れ惜しくも銀メダル。

 

でも、真央ちゃんの神髄は、最後のオリンピックとなった2014年のソチ五輪でしょう。伝説として今も語り継がれる、浅田真央選手のソチのフリー演技。あの時、金メダル候補だった浅田選手はショートで失敗し、フリーは16位からのスタートでした。

 

「さすがの真央ちゃんも、今回はどうにもならないだろう」と諦めムードが漂っていたフリーの演技で、彼女はやってのけました。最初のトリプルアクセルを成功させると、次々と確実に3回転ジャンプを決めていきました。明らかに、いつもとは違う真央ちゃんだった。ものすごい気迫が伝わってきた。

正直、真央ちゃんには、ずっと何か物足りなさを感じていた。技術は完璧。でも、彼女の滑りは音の表現がいまひとつ、欠けていると。そこがキム・ヨナに勝てなかった部分だと。

 

その懸念を覆したのが、ソチのフリーでした。あの日、背水の陣で臨んだ浅田真央選手の試合にかける集中力と鬼気迫る思いが、ラフマニノフの重厚な旋律に乗って、会場全体を覆い尽くしていた。天賦の技術に加え、音を捉えた迫真のスケーティング。

あのタラソワコーチが「真央、すばらしい・・」と絶句した演技。そしてフィニッシュを迎え、天を仰いだ後の、全てを出し尽くした人間だけが見せる満面の笑顔と涙。

結果は、10人ゴボウ抜きの6位入賞。順位やメダルなど問題にならない、それ以上の凄いドラマを見させてもらいました。

 

浅田選手以降、ロシア勢が4回転ジャンプを成功させる時代に入ると、日本は表彰台から遠ざかります。

「女子もいよいよ4回転の時代に入ったか」とも言われました。

でも、ひとりの才能ある選手を数年かけてじっくり育てるとか、成長を見守るというやり方でなく、新しいシーズンが始まるごとに、次から次へと4回転を飛ぶ若い新星を送り込んでくるロシア。

無心に滑っていた小さな女の子が、大きくなるにつれ挫折や様々な葛藤を抱えながら、あらゆる苦難を乗り越え、心身ともに大人の女性へ、真のアスリートへと成長を遂げるその過程を見ることが、フィギュアスケートの醍醐味でもあります。国の威信をかけて、結果重視のロシアはお国柄仕方ないとしても、選手にとっても、こういうやり方はいかがなものか?と感じていた人間は多かったはず。

 

ロシア勢を意識し、4回転に挑戦する選手もいましたが、身体に負担がかかり大切な時期に怪我をして欠場する事態も起きました。そういうなかで迎えた2022年の北京オリンピックにおいて、坂本香織選手が堂々の銅メダルに輝きました。4回転を飛ばずともメダルが取れる!と、多くの選手に勇気を与えたであろう坂本選手。

 

北京の坂本選手のフリー、私も大好きです。曲の雰囲気も、坂本選手にピッタリ合っていた。彼女の持ち味である疾走感、躍動感。そして世間が何と言おうと、自分のスケーティングを貫いた強い意志。

北京のフリーを見ると、涙が出てくる。「見よ!私は私の道を行く」と、高らかに宣言するかのごとく、のびのびとしたスケーティング。フリーダムという言葉がピッタリの、見る者の心に訴えかける、何かを凌駕していくような、心揺さぶる会心の演技でした。フィニッシュの後、「自分が今、表現したいことを全て表現した」と、納得したように小さく頷き、ガッツポーズを決めた坂本選手のカッコよさ。

 

2026年、競技人生を懸け、最終章と決めたミラノコルティナ五輪。出来れば、坂本選手に金メダルを取らせたかった・・。本当に一瞬のタイミングのズレで、メダルの色が変わってしまう。でも、その残酷さもオリンピック。五輪でのミスは、絶対に許されない。取り返しがつかないから。それは坂本選手が一番よくわかっていること。わかっているからこそ、くやしさは並大抵ではないはず。

 

いつもいつも、背中を叩いてリンクへと送り出してくれた中野コーチの腕の中で、思わず泣き出した坂本選手。私もいっしょに泣いていました。この万感の思いは、トップを走り続けたアスリートだけが嚙み締められる、特別な感情です。

坂本選手のダイナミックなスケートをもう見られないと思うと、寂しい。坂本選手はその圧倒的存在感を、みなの目に焼き付けてくれました。

 

「坂本香織選手、偉大なる女王。あなたは最後まで本当に素敵でした。何年たっても、私はあなたを忘れない。きっとまた、あの日の自由に輝やいているあなたに、会いにいくことでしょう」