コラム
生涯に一度きりの今年の桜
もう4月の中旬になるので、桜の季節ともお別れです。自分はソメイヨシノよりも、山桜が好きです。ソメイヨシノはワッサワッサと派手にてんこ盛りに咲きますが、山桜のどこか可憐さがありながら、凛とした佇まいが好きです。
山中や野辺に山桜の大木が、たった独りで見事な花を咲かせている姿は本当に美しい。ソメイヨシノが桜の代名詞となったのは近代に入った明治以降のことで、それ以前の日本では、桜とは山桜を指したそうです。
今年は大きく環境が変わったことで忙しさもあり、桜を見に行く時間が取れなかったことが悔やまれます。桜をゆっくり見に行けなかった春は、何か大切なことを遣り残したような感覚があります。
若かりし頃、春は時期が来ると毎年同じ条件で、自分の生活のなかに入り込んでくるものでした。
だいぶ昔になりますが、五月の連休に東北方面に出かけた際、『桜の名所』と呼ばれる場所で、ご年配のグループと出くわしました。
聞けば、桜の開花を追いかけて関東から北海道に向かって北上しているとのこと。当時の私には、その行為がよく理解できませんでした。
「たかが桜のために、よくもまあ、あれだけの時間と労をかけられるものだ」というのが、正直な感想。「それほど執着しなくても、桜は去年も今年も、来年だって春が巡れば同じように咲くじゃない?」
ところがある時、突然気付いてしまったのです。今年の桜と来年の桜は違うのです。
30代も半ばを迎え、仕事も忙しくなった頃、帰宅は深夜という日が続いたことがありました。ひと月ほどそのような生活が続き、そして桜が満開になった頃、ようやく開放されるや、ご無沙汰していた遠方に住む彼氏に会うため意気揚々と出かけたのです。
気分転換をしたいという私を、彼はドライブに連れ出してくれました。その日の天気は文句なしの快晴。空は真っ青で季節は春爛漫・・・。そう、本当に眩しいほど世界は輝いていました。
桜の花は枝からこぼれ落ちんばかりに、たわわに咲いていました。陽射しと風を受け止めようと車の窓を全開にし、子供のように身を乗り出して、目に映るピンクや白の濃淡にウットリ酔いしれたのです。
「世界って、こんなに綺麗だったんだ・・・」
ずっと当たり前だと思っていた春の風景が、その日は違って見えました。隣に目をやれば、ハンドルを握る彼の姿。次の瞬間、唐突に涙がツーっと流れ落ちたのです。
あまりに力強く、艶やかな春の色彩に圧倒されながら、フッっと「この日、この瞬間に見た桜は、もう二度と見ることはできない」という思いが頭をよぎったのです。
追い討ちをかけるように「来年、この人とこうやって、桜を見ることはないかもしれない・・・」という絶望感が押し寄せてきました。
こういう矛盾した思いがごちゃまぜとなり、涙となって外に溢れ出たのです。
人の気持ち状態も、留めることは難しい。桜は来年も美しく咲くけれど、桜を愛でる側の環境は、きっと変わっていることでしょう。「無常」とはよく言ったもの。
いきなり泣き出した私を見て驚く彼に「こんな綺麗な桜を、いま隣で見られることが嬉しくて・・・」と言うと、照れながら「バカじゃないの」という返事。
桜を追いかけて移動していたあのお年寄りたちの気持ちが、その時少し分かったような気がしました。
