有限会社ユーアンドエス 代表取締役/ライター 恩田すみえのホームページ

コラム

2026
03 / 16
22:10

猫という生き物は・・・

猫という生き物は・・・

我が家の保護猫の「コイチャ」が、家からいなくなった。だいぶ弱っていたので、たぶんどこかで独りひっそりと亡くなったのだろう。

2月末のある晩、チャチャといっしょに箱の中で寝ていると思ったら、ちょっと目を離した隙に姿を消したので「あっ、これでコイチャとは永遠のお別れだ」と悟った。

猫は死ぬ前に姿を消すというけれど、外へ自由に出られる環境にしていると、たとえ飼い猫であったとしても猫は己の寿命が尽きる時、静かに黙って消えていく。それが猫という生き物だ。

 

この家に引っ越してきたのが11年前。当時、避妊も去勢もせず猫をダダ洩れで増やす家が近所にあり、そこからはみ出した猫たちが、我が家に3匹やってきた。

まず「スー」が乗り込んできた。小柄だが、明らかに意志の強い光を放つキリリとした黒目がちの瞳が印象的な、白色部分が多いメスのキジトラ猫だった。それからまもなく、スーをそのままひとまわり拡大コピーしたような図体のデカい、でもどこかトボけた雰囲気が憎めない「お兄ちゃん」がやって来て、そして茶色の縞模様が美しい小柄で甘えん坊なオス猫の「チャチャ」と、立て続けに我が家に住み着いた。

 

 スー庭で.jpg

 

猫はどこからか「こいつなら面倒見てくれそうだ」という人間を観察し、目星を付け、徐々に距離を縮めていく。すでに事前に、私へのアピールはあった。自宅に帰ると、いつもスーとお兄ちゃんがお向かいの家の石塀の上に2匹並んで座り、じっとこちらを見つめていた。猫好きにはたまらない光景なので、

私は家に入らず2匹のもとに近づき、身体を撫でてあげていた。

そういうシーンが何度かあり、彼らは「あの人間ならいける」と確信を得たのだろう。タイミングを見計らい、意を決してパイオニア精神豊かなスーが「この家の猫になる!」と、先陣を切ったのだと思う。まったく猫という生き物は・・・なのだ。

 

お兄塀の上.jpg 

兄弟アップ.jpg

 

コイチャが我が家の猫になったのは一昨年の秋。だから我が家の猫歴は約1年と半年で、さほど長くはない。でも我が家の周辺をうろつくコイチャの姿は、もう4年ほど前から見ていた。大きくて丸い潤んだ瞳のキジトラのオス猫だった。

この一帯のノラさんたちは、ことのほかキジトラ種が多い。おそらくノラさんたちの中に圧倒的に強いキジトラのボスがいるのだろう。

サッシを開け放しておくとコイチャはいつのまにか家の中に入ってきて、スーやお兄ちゃんのご飯を食べていた。私や母親の膝の上で何の心配もなく安心しきって眠る我が家の猫たちを「自分もああやってお膝に乗って眠りたい」と訴えるかのように、外からじっと見つめるコイチャの姿があった。

 

そしてある日、コイチャはとうとう行動に出た。私の前に歩いてくると、ゴロンと転がりお腹を見せ、撫でてあげると目をつぶりスリスリし、猫流の「信頼の証」のポーズを示したのだ。そこまでされたら、もう受け入れるしかない。一見するとチャチャにそっくりだが、チャチャより黒みがかった濃いめのキジトラなので「コイチャ」と名付けた。

以来、もう何年も前から我が家の猫であるかのように、コイチャは私たち家族にベッタリと甘えまくった。とにかく抱っこが大好きで、いつも「抱っこして」と前足で私たちの足をひっかきながらせがんだ。そして布団の上で丸くなったり、布団の中に入ってきて人間の体温に触れながら眠ったり、今までの空白を埋めるかのように、今まで欲しくてたまらなかった人間の愛情や温もりをたっぷりと味わうかのように、ご飯もたくさん食べて、コイチャは家猫生活を満喫していた。

さらに家族以外のどの人間に対しても、コイチャはスリスリと近寄り人懐っこく愛情を示すため、我が家を訪ねてくる人全員に愛された。

 

でも、長年の過酷な外猫生活は確実にコイチャの身体を蝕んでいたのだろう。我が家の猫になって半年たった頃、ご飯を食べなくなり痩せてきたので動物病院に連れて行ったところ、猫特有の腎臓病と診断され「何も処置をしなければ、もって一週間」と言われた。

今の動物病院はすぐ治療にかかる項目を一覧にした見積書を作成し、「これだけかかりますが、どうしますか?」と飼い主に問う。うん万円という現実的な金額を見せられると、まず「うっ・・」と立ち止まる。でも「せっかくウチの猫になったんだから、もう少しがんばって生きようね」という気持ちが勝る。

 

すぐに注射を打ち、薬を処方され、しばらく週2回の点滴を実施したところ、コイチャは持ち直し、再びモリモリ食べ、活発に動き、たっぷりと愛情を受ける生活に戻った。それから1年経った今年2月中旬、コイチャは再び食べなくなり痩せてきた。

病院に行くと、今回はかなり深刻だった。腎臓だけでなく歯周病も進み鼻水もひどく、処置は施したが前回とは異なり、明らかに11日、目に見えて弱っていくのがわかった。

体重も日に日に軽くなり、それでもコイチャは毎日の日課の朝のパトロールに出かけて行き、午後に戻るとふらつきながらも階段を登り、私のベッドの上で丸くなって休んでいた。

 

これまで何匹かの猫の最期に立ち会ってきた。それから学んだことは、死期を悟ったら、もうそれ以上の治療はしない。細胞が活動を止める準備をしているところに、嫌がる猫を押さえつけ無理やり口をこじ開けて、薬やご飯を押し込めることは疲弊している猫にとっては大きなストレスであり、それは人間のエゴでしかないと。だからもう、その時まで辛いけど、私たちは死に逝く猫をただ見守っていこうと。

 

「コイチャ、うちに来て幸せだった?もっと抱っこしてあげたかったよ」

脱水から開いたままになったコイチャの目を見ながら、こう話しかけた。

驚いたことに、いつもお兄ちゃんにベッタリの自分本位の甘えん坊のチャチャが、心配そうにコイチャの傍に常に寄り添うようになった。コイチャが箱に入るとチャチャもそこに入り、いっしょに眠っていた。チャチャの優しさに心が震えた。

 

チャチャとコイチャ②.jpg

そして、ふとした隙にコイチャはチャチャの元から音もなく離れ、跡形もなく消えていた。

そして多くの猫がそうだったように、それきり戻って来なかった。

 

もしかしたらコイチャは自分の命の期限を悟り、野良猫の自分がずっと夢見たことを叶えようと、我が家にやってきたのかも知れない。人間に抱っこされ、優しく話しかけられ、たくさん愛情を受け、お腹いっぱいご飯を食べて、温かい布団で眠ること。1年と半年の間、短い期間だったけれどコイチャは我が家で120%、自分の夢を実現したのではなかろうか。夢を叶え、そして潔く逝った。

 

こうやっていつもいつも、私たちは猫という生き物の奥深さに驚かされるのだ。