コラム
クマ被害対策についての意見
人口50万人を超える北関東随一の人口を抱え、県都でもある宇都宮市の地形は、決して高山に囲まれた盆地ではありません。ただし、市の北方に地元で通称「宇都宮アルプス」と呼ばれる、標高500mほどの低山が連なる「篠井富谷連峰」が連なり、その山域の南東側に田川、北西側に鬼怒川が流れ、それを遡れば標高2,000m級の日光連山へと辿り着きます。
宇都宮市の街中で暮らしていると山の存在をさほど身近に感じませんが宇都宮駅から約10㎞、車で約30分も走れば、そこはもうりっぱな森林地帯に入るのが宇都宮の特色と言えるでしょう。
先日の宇都宮中心部でのクマ出没のニュースは、宇都宮市民に大きな衝撃を与えました。現在市内で暮らすあらゆる世代の住民のなかで「市街地にクマが出没した」という話を聞いた人は、未だかつていないでしょう。
ニュース映像に映った商店街はまさに宇都宮市のど真ん中、繁華街に位置しています。
最初にクマの目撃情報が出たのが6/6朝、宇都宮の北方に位置する郊外の山本町から始まり、どんどん南下し県庁付近から宇都宮中心部の商店街を走り抜け、宇都宮南西部の西川田から平松本町、宇都宮大学のある峰町、そして6/9午後に宇都宮駅南の下栗地区の住宅街を流れる小さな河川を泳ぐ姿が目撃され、河川から這い上がると塀をよじ登り、住宅の敷地内に入り込んだところを捕獲という一連の流れとなったことは周知の事実です。
よく指摘される「過剰に保護しクマの個体数が増え過ぎた」「ハンターの数が減った」「山にクマの食料がない」といった以外のことで考えてみたいと思います。
県内北部で木材生産を行う林業家の友人の話を聞くと「山で作業をしていると、クマは昔からよく目撃されていた」と言います。ただし山仕事をしている人間に対し、クマは決して近寄って来なかったそうです。なぜならクマは音に非常に敏感で、木を伐採するチェーンソーなどの金属音を特に嫌がる傾向があったと話していました。
かつてはクマの生息する奥山と人間の生活圏の間には、林業地帯などの緩衝帯がありました。林業が廃れ、山仕事の音が消えると、そこが新しく住宅地として開発された場合、クマの生息域と人間の生活圏が密着することになります。
また戦後の拡大造林政策によって、用材となるスギやヒノキが植林され、針葉樹の人工林が全国的に増えました。しかし手入れがされないため、過密状態の森林が多くあると聞きます。通常、針葉樹は広葉樹のようにドングリなどクマの食料を生産しない樹種ですが、岩手大学哺乳類学科が「夏に針葉樹林帯をクマが頻繁に行き来するのは、枯死した針葉樹に巣くうアリを食べている」という研究論文を発表しています。そのことから手入れされずほったらかしの針葉樹の人工林は当然倒木も多いわけで、夏場はそこがクマのエサ場になる可能性が高いということでしょう。
我が栃木県も県土の約半分が林野であり、うち針葉樹の人工林は64%にのぼります。宇都宮の郊外にも多くの針葉樹の人口樹林帯があります。今後再びクマが奥山から人気のない針葉樹の森や藪伝いに移動し、市街地に入り込みパニックとなって街中を疾走する可能性は十分考えられるでしょう。
国は「クマ被害対策等に関する関係閣僚会議決定」においてクマと人のすみ分けを行うために、緩衝帯整備費に交付金等を支援するとうたっていますが、緩衝帯整備の中に人口林の間伐や整備などの林業支援などは入るのでしょうか?
クマの個体管理は今後不可欠になってくるでしょう。しかし、国土の7割が森林という国の宿命として、また生態系の頂点に立つ人間の責務として、人間の生活圏に現れたクマを殺処分するという対処療法だけでなく「なぜクマが人間の生活圏を脅かすのか」という根源的な問題を問い続けなければならないと考えます。
栗山英樹監督
先日、宇都宮市内のホテルにて「栃木県日経懇話会設立50周年記念パーティー」なるものに出席しました。天下の日本経済新聞社企画の催しだけあり、また設立50周年記念ということで、ゲストも大物でした。
栗山英樹氏、元日本ハムファイターズ監督。チームを2度のリーグ優勝、うち2016年にチームを日本一へ導き、さらに2023年のWBCでは侍ジャパンを世界一へと導いた名監督。
自分は野球に特別詳しいわけではないですが、国内トップクラスの選手を異なる組織から集めた期間限定のチームを世界一へと押し上げるには、いったいどんな手法を用い何が決め手となったのか?これは野球に限らず組織のリーダーとして、非常に気になるところでしょう。
約1時間の講話でしたが、あまりに内容が興味深く面白く、栗山監督のお人柄というか、ユーモアたっぷりに人情味あふれるエピソードを披露してくださいました。
人それぞれ解釈は異なると思いますが、総括すると「鬼滅の刃」でよく使われるフレーズ「一人はみんなのために、みんなは一人のために」闘うんだという、チーム全員の想いや意志、魂が一つにがっつり噛み合い最高潮に達した時、物事は動き出し奇跡が起きると、栗山監督は言いたいのかなと、私的には感じました。
監督曰く、大会期間中の7試合を闘うのに30人を招集するそうで、一流選手でも幼心(おさなごころ)みたいなものがあって「どうせ自分は出場できないし」とふてくされ、試合に集中しない選手も必ず出るそうで、そうなると絶対に勝てないそうです。たとえベンチにいようとも、30人全員が「自分がチームを勝たせる」という強い想いを持たない限り、優勝はできないという。
1つのサイン、1つの言葉が試合の流れを変えてしまうというギリギリ切羽詰まった状況下、最終的に流れを作るのは技術やシステムを越えたもの、「このチームを勝たせよう」という選手の濃密な意識が作り出すその場の空気感なのですね。それを作るためには、やはりコミュニケーションしかないと話されておりました。それぞれの選手の心理を読み、その選手に合ったコミュニケーションの取り方があり、それに相当苦心されたようです。究極の状況を経験した者だけが肌感覚で理解できる、非常に根源的な主題だと思いました。
最後にちょっとだけ、大谷選手のエピソードを話してくれました。
シーズンが終わった年末の12月24日、クリスマス・イブの夜、他の選手がひととき野球を離れ、家族や恋人と思い思いに過ごしている時期、大谷選手は一人バッティングセンターにやって来て、朝方まで数時間、黙々とバッティングの練習をしていたそうです。
翌日、監督は大谷選手に言いました。
「お前さ、せめてクリスマスくらい女の子のいるお店に行ってはじけるとか、やらないの?」
すると、大谷選手は意外そうな顔でこう答えたそうです。
「監督、クリスマスの夜に女の子のいるお店に行って飲むのが楽しいですか?その数時間、女の子と話すことが、どれだけ僕の人生に得になるのかわかりません」と。
大谷選手のすごいところは、技術がどうということではない。彼は野球が何よりも好きで、好きな野球をもっとうまくなりたいという純粋な欲求であり、彼の中では練習に対して曖昧さや迷いというものが全くなく、彼の世界には練習をするかしないかの選択肢しか存在しない・・・というようなことを話されていました。
大谷選手の思考法というか世界観は、いたってシンプルなのでした。
